歴史(平安時代)
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平安時代 |
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西暦 |
日本の主なできごと |
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西暦 |
世界の主なできごと |
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797 |
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷(えみし)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任ずる。「続日本紀」(しょくにほんぎ)ができる。 |
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801 |
坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷(えみし)の平定をすすめ、翌年、胆沢城(いさわじょう)をきずく。 |
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800 |
フランク王国のカール大帝が西ローマ帝国皇帝となる。 |
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804 |
遣唐使に従い、最澄、空海が唐に渡る。 |
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805 |
最澄が帰国し、翌年、天台宗(てんだいしゅう)をひらく。 |
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このころ、渤海がさかんに日本へ使いを派遣する。 |
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806 |
空海が帰国し、真言宗(しんごんしゅう)をひらき、密教を広める。 |
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810 |
はじめて蔵人所(くろうどどころ)をおく。藤原薬子(ふじわらのくすこ)の変が起こる。 |
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このころ、ノルマン人(バイキング)が活躍する。 |
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816 |
空海が高野山金剛峯寺(こうやさんこんごうぶじ)を創建する。このころ、検非違使(けびいし)がおかれる。 |
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820 |
弘仁格式(こうにんきゃくしき)ができる。 |
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828 |
空海が綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創立する。 |
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842 |
承和(じょうわ)の変で伴健岑(とものこわみね)・橘逸勢(たちばなのはやなり)らがながされる。 |
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843 |
フランク王国が三つに分かれる。 |
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857 |
藤原良房(ふじわらのよしふさ)が太政大臣(だじょうだいじん)に任ぜられる。 |
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摂関政治(せっかんせいじ)への道が開かれる。 |
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このころ、ロシアができる。(?) |
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866 |
応天門がやける。<応天門の変> 藤原良房に摂政の詔が出る。 |
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875 |
黄巣(こうそう)の乱がおこり、唐が衰える。 |
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887 |
藤原基経(ふじわらのもとつね)に関白の詔が出る。 |
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894 |
菅原道真(すがわらのみちざね)の意見で遣唐使を辞める。 |
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891 |
新羅でも大乱がおこる。 |
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899 |
藤原時平(ふじわらのときひら)が左大臣、菅原道真が右大臣に任ぜられる。 |
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901 |
菅原道真が大宰府に流される。「日本三代実録」ができる。 |
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903 |
菅原道真が大宰府で死ぬ。 |
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905 |
「古今和歌集」(こきんわかしゅう):<最初の勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)>ができる。 |
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907 |
唐が滅び、五代の混乱をむかえる。 |
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914 |
三善清行(みよしのきよゆき)が政治について十二か条の意見書を出す。 |
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918 |
高麗が国をつくる。 |
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927 |
延喜式(えんぎしき)ができる。<延喜格(えんぎきゃく)は907年に完成。> |
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926 |
渤海が滅びる。 |
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930 |
清涼殿に雷がおち、菅原道真が天神(雷神)にまつられる。 |
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935 |
平将門(たいらのまさかど)の乱が起こる。(〜940) |
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935 |
新羅が滅ぶ |
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このころ、紀貫之(きのつらゆき)が「土佐日記」をあらわす。 |
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936 |
高麗が朝鮮半島を統一する。 |
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このころ、荘園(しょうえん)がさらに増える。空也の活動が始まる。 |
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939 |
藤原純友の乱がおこる。(〜941) |
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960 |
宋がおこる。 |
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969 |
左大臣源高明(みなもとのらかあきら)が大宰府に流される。<安和(あんな)の変> |
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962 |
オットー一世が神聖ローマ皇帝となる。 |
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985 |
源信が「往生要集(おうじょうようしゅう)」をあらわす。 |
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979 |
宋が中国を統一する。 |
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988 |
尾張国の郡司・農民らが、国司藤原元命(ふじわらのもとなが)の悪政を訴える。 |
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このころ、藤原氏が全盛期をむかえる。(摂関政治の全盛期) |
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このころ、清少納言(せいしょうなごん)が「枕草子(まくらのそうし)」を、紫式部が「源氏物語」をあらわす。 |
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1010 |
ベトナムに李朝大越国(りちょうだいえつこく)が成立する。 |
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1016 |
藤原道長が摂政となる。 |
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1017 |
道長が、摂政を頼通(よりみち)に譲り、太政大臣となる。 |
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1019 |
刀伊(とい)の賊<女真族>が北九州をおそい、撃退される。 |
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このころ、武士が力を伸ばし始める。 |
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1028 |
平忠常(たいらのただつね)の乱が起こる。 |
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1037 |
セルジューク=トルコがおこる。 |
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1051 |
前九年の役(えき)がおこる。(〜1062) |
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1052 |
末法の世に入るといわれ、浄土教がさらに盛んとなる。 |
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1053 |
平等院鳳凰堂が完成する。 |
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1066 |
ノルマン人がイングランドを征服する。 |
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1069 |
後三条天皇が荘園を整理する。 |
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1069 |
宋で王安石(おうあんせき)が新しい政治をする。 |
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1083 |
後三年の役がおこる。(〜1087) |
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1077 |
ドイツ皇帝がローマ教皇と争い、屈服する。 |
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院政が始まり、藤原氏が衰える。 |
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1086 |
白河上皇が院政を始める。 |
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1091 |
源義家(みなもとのよしいえ)への荘園寄進を禁止する。 |
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1095 |
院に北面の武士を送る。 |
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1096 |
第一回十字軍が出発する。(〜1099) |
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1098 |
源義家が院昇殿(いんのしょうでん)を許される。 |
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このころ、僧兵(そうへい)の横暴が激しく、朝廷への強訴(ごうそ)がさかんとなる。 |
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1108 |
平正盛(たいらのまさもり)が源義家の子義親(よしちか)をうつ。 |
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1115 |
女真族が金を建国する。 |
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1124 |
奥州藤原氏が中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)を建てる。 |
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1127 |
金にせめられ、宋が南に移る。(南宋=さんそう) |
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1129 |
平忠盛(たいらのただもり)が山陽・南海の海賊を打つ。 |
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1132 |
平忠盛が内昇殿(うちのしょうでん)を許される。 |
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1141 |
鳥羽法皇の命で、崇徳天皇(すとくてんのう)が退位し、近衛天皇(このえてんのう)即位。 |
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1142 |
金が南宋と講和し、中国は二つに分かれる。 |
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1143 |
源為義(みなもとのためよし)が藤原頼長(ふじわらのよりなが)につかえる。 |
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このころ、カンボジアにアンコール=ワットが建設される。 |
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このころ、延暦寺(えんりゃくじ)や興福寺(こうふきじ)が武力を持ち乱暴する。 |
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1147 |
第二回十字軍(〜1149) |
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1150 |
頼長と兄忠通(ただみち)との対立が激しくなる。 |
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1154 |
源為朝(みなもとのためとも)が九州で乱暴をして、為義は検非違使(けびいし)を辞めさせられる。 |
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1155 |
鳥羽法皇と崇徳上皇(すとくじょうこう)の対立が激しくなる。 |
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1156 |
保元(ほうげん)の乱が起こる。 |
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1157 |
セルジューク=トルコが衰える。 |
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崇徳上皇が讃岐国へ流され、頼長は戦死、為義は刑死する。 |
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1158 |
信西(しんぜい)・平清盛(たいらのきよもり)と、藤原信頼・源義朝との対立が起こる。 |
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1159 |
平治の乱が起こる。 |
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1160 |
源義朝が殺され、頼朝は伊豆に流される。 |
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平氏が栄える。 |
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1164 |
清盛らが、写経(しゃきょう)を厳島神社(いつくしまじんじゃ)におさめる。<平家納経(へいけのうきょう)> |
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1167 |
清盛が太政大臣(だいじょうだいじん)となるが、三ヶ月後、辞任する。 |
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1168 |
平滋子(たいらのしげこ)の産んだ皇子が高倉天皇(たかくらてんのう)となる。 |
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1170 |
藤原秀衡(ふじわらのひでひら)が鎮守府将軍となる。 |
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1170 |
高麗が内乱で衰える。 |
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1171 |
清盛の娘、徳子(とくこ)が高倉天皇の女御(にょうご)となる。 |
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1171 |
サラディン王がエジプトを支配する。 |
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1173 |
清盛が大輪田泊(おおわだのとまり)を修築(しゅうちく)し、日宋貿易(にっそうぼうえき)を発展させる。 |
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1177 |
鹿ケ谷(ししがたに)事件が起こる。 |
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1179 |
清盛が後白河法皇(ごしらかわほうおう)を鳥羽殿におしこめる。 |
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このころ、朱子学(しゅしがく)がおこる。 |
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1180 |
徳子の産んだ皇子が安徳天皇(あんとくてんのう)となる。 |
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源頼政が以仁王(もちひとおう)の令旨(りょうじ)をうけ、挙兵する。 |
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清盛が一時、都を福原に移す。 |
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頼朝、挙兵するが、石橋山で敗れる。 |
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頼朝、鎌倉を根拠地とし、富士川で平氏をやぶる。 |
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木曽の源義仲(みなもとのよしなか)をはじめ、各地の武士が挙兵する。 |
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1181 |
清盛が熱病のため死ぬ。 |
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1183 |
平氏が西国に逃れ、義仲の軍が京都に入る。 |
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1183 |
ロンバルディア同盟が自治都市の権利を手に入れる。 |
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頼朝が法皇と手を結ぶ。 |
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1184 |
法皇の命で源義経(みなもとのよしつね)らが義仲をうつ。 |
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一ノ谷の合戦で平氏が敗れる。 |
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1185 |
屋島に続き、壇ノ浦で敗れ、平氏が滅亡する。 |
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